今天我为大家分享的是日本作家宫泽贤治的短篇作品《拉
大提琴的戈什》。希望对大家的
日语学习有所帮助,。祝愿大家生活愉快,天天开心,每天保持积极的心态面对生活。生活是一场漫长的旅行,不要浪费时间,去等待那些不愿与你携手同行的人。
戈什是个大提琴手,由于水平不高,琴也破旧,平时很不受人待见。但他勤奋自强,不懈努力。他和小动物们友好相处,不但帮助了小动物,也得到了小动物们的帮助,并取得了进步,获得了成功,受到了赞扬。
セロ弾きのゴーシュ
宮沢賢治
それから頭を一つふって椅子へかけるとまるで虎みたいな勢(いきおい)でひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。
戈什甩了一下脑袋坐到椅子上,便以猛虎般的气势,拉起白天练习的曲子。他一边翻谱一边拉,拉了琢磨,琢磨了又拉,拼命拉到然后从头再拉,一遍又一遍咕咕嘎嘎拉个不停。
夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄(ものすご)い顔つきになりいまにも倒れるかと思うように見えました。
时间早就过了后半夜,戈什头昏脑胀,根本不知道自己是否还在拉着琴。他满脸通红,双眼布满血丝,表情狰狞可怕,看起来一副随时都有可能不支倒地的模样。
そのとき誰かうしろの扉をとんとんと叩くものがありました。
就在这时,有人咚咚地敲响了他身后的门。
「ホーシュ君か。」ゴーシュはねぼけたように叫さけびました。ところがすうと扉を押おしてはいって来たのはいままで五六ぺん見たことのある大きな三毛猫でした。
“是霍什君吗?”戈什迷迷糊糊地叫到。然而,应声推门进来的是一只戈什曾见过五、六次的大花猫。
ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来てゴーシュの前におろして云いました。
花猫不胜负荷地把一堆从戈什的菜园里摘来的半生不熟的蕃茄,放在戈什面前说:
「ああくたびれた。なかなか運搬(うんぱん)はひどいやな。」
“啊,累死了!搬运这东西可真累坏我了。”
「何だと」ゴーシュがききました。
“你说什么?”戈什问道。
「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云いました。
“这是见面礼,请你吃的。”花猫回道。
ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。
戈什吼着骂起来,把憋了一天的火一下子全部发泄了出来。
「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。一、おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎(くき)をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。」
“谁叫你小子拿蕃茄来的?再说,我会吃你们这帮家伙拿来的东西吗?更何况这些蕃茄还是我菜园里的!你看,你竟把还没熟透的都摘下来了!至今为止在我的菜园里啃蕃茄茎,还把菜园搞得乱七八糟的,都是你小子干的吧?滚!臭猫!”
すると猫は肩をまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。
花猫缩起肩膀,眯起双眼,似笑非笑地说:
「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
先生,这么动怒,是会伤身体的。对了,不如拉一首舒曼的《梦幻曲》吧,我给你当听众。
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」
“你就是只猫,说话不要太不知天高地厚。”
セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。
大提琴手动了肝火,暗自思索着该如何整整这只狂妄的猫。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
“别客气喔!请吧,不知怎么回事,我若不听先生的音乐,还真睡不着呢!”
「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」
“太狂啦!太狂啦!太狂啦!”
ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。
「では弾くよ。」
戈什气得面红耳赤,一如下午的指挥一样,跺着脚吼骂。可是突然又转念说:“好,我拉。”
ゴーシュは何と思ったか扉にかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室(へや)のなかへ半分ほどはいってきました。
然后戈什不知在打什么鬼主意,竟把门锁上,又把所有的窗子都关紧,再拿起大提琴,之后关掉灯。屋外的下弦月月光,照亮了半边房间。
今天的共读到此结束,感谢大家的收听。
では、おやすみなさい。